ベスオです。
記念すべき初投稿!そして初っ端から雑談!
仕方ない、書きたくなったんだから。書きたくなった時が書きどきです。
本題にうつります。
映画は映画館ではなくて自宅でのんびり見る派なので
Amazon Prime Videoでトイストーリー4を観てました。
結論から言うと、個人的にめちゃめちゃ良かったです。
しかしながらネット上での感想を見ると賛否両論みたいです。
確かにこれまでのストーリーの流れと大きく違いますし
これまで作り上げてきたトイストーリーの世界観や
ウッディやバズ、おもちゃたちの価値観そのものが
ひっくり返るようなストーリーになっているからです。
だがそれがいい
個人的なトイストーリー4の推しポイントをたっぷり語らせていただきます。
あらすじ(Wikipediaより)
9年前の雷雨のある夜、ラジコンカーRCが外に放置されていたため遭難しており、ウッディとボー・ピープが救出に向かい彼を救い出す事に成功するも、家に戻った直後にボーの電気スタンドが彼女ごと知人の男性に譲られてしまう。それを見ていたウッディは悲しみに暮れる。
Wikipediaより抜粋
そして、ウッディ達がアンディ・デイビスの元からボニー・アンダーソンの元へと渡って1年後、バズ・ライトイヤーらおもちゃ達は相変わらず楽しい毎日を過ごしていたが、一方でウッディは遊ばれる頻度が少なくなり悲しさを覚えていた。
ボニーは新しく幼稚園に通う事になるが、内気な彼女は中々幼稚園に馴染めなかった。
それを見兼ねたウッディの助けもあり、ボニーは先割れスプーンやモールなどを使用して手作りのおもちゃフォーキーを工作する。
フォーキーを作った事でボニーは明るくなり、彼は1番のお気に入りのおもちゃになった。
しかしフォーキーは、自分はおもちゃではなく「ゴミ」だと思い込んでおり、目を離すとすぐにゴミ箱に入りたがってしまう。
ある日、アンダーソン一家がキャンピングカーでドライブ旅行に行く事となり、ウッディやフォーキーを含むおもちゃ達も同行するが、移動中、遂にボニーの元からフォーキーが逃げ出してしまう。
それにより、彼を連れ戻そうとウッディもフォーキーの跡を追う事となる。
ウッディはフォーキーを見つけボニーの元へと戻る道すがら、偶然通りかかったアンティークショップ「セカンド・チャンス・アンティーク」で長年離れ離れでいたボーの電気スタンドを見つけ店内に入るも、そこに現れたのは内蔵されたボイスボックスが故障しているため喋る事が出来ず、それが原因で1度も子供に愛された事の無い人形ギャビー・ギャビーであった。
ウッディのボイスボックスを奪おうと襲来する彼女から逃げる2人だったが、ウッディは「セカンド・チャンス・アンティーク」の店主マーガレットの孫娘ハーモニーに拾われ、店の外に連れられてしまい、彼とフォーキーは離れ離れになってしまう。
一方、キャンピングカーの中に残ったバズ達は、中々戻らないウッディとフォーキーを心配していた。
バズは2人を探し出すため車外に出るも、誤って落下した移動遊園地の射的「スター・アドベンチャー」の景品として壁に貼り付けられてしまう。
そこで、同じく「スター・アドベンチャー」の景品であるアヒルのぬいぐるみダッキーとウサギのぬいぐるみバニーと出会い、2人の協力でバズは脱出に成功する。
ハーモニーに連れられ砂場に来たウッディは、そこで偶然ボーと再会し、2人はハーモニーの隙を見てその場から逃げ出す。
知人の男性に譲られるも彼にも手放されたボーは、その後「セカンド・チャンス・アンティーク」に行き着いたのだという。
「セカンド・チャンス・アンティーク」でギャビーに捕まっているフォーキーを助け出すため、ボーの親友の人形ギグル・マクディンプルズやボーの電気スタンドに付属する羊の人形ビリー&ゴート&グラフと共にウッディとボーは店に向かう。
「セカンド・チャンス・アンティーク」に向かう途中、ウッディ達にバズ、ダッキー、バニー、さらにスタントマンの人形デューク・カブーンも合流する。
店に到着するも計画した作戦が上手くいかないため、ボーはフォーキーの救出を諦めようとウッディに話を持ちかけるが、それをウッディは断固拒否したうえ2人は喧嘩をしてしまい、ボー達はウッディの元から去ってしまう。
1人になったウッディは、自分のボイスボックスとフォーキーを交換するというギャビーの提案を受け入れ、ボイスボックスを彼女に譲る。
修復され喋れるようになったギャビーは早速ハーモニーの気を引くも、すぐに見捨てられてしまう。
悲しむギャビーに、ウッディは一緒にボニーの元へ行こうと提案する。
生き方の多様性を肯定した作品だ
いっちばん最初のボーとの別れのシーンの意味。
バズとはまた違った形でウッディにとっては特別な存在だったと思うんですよね、ボーは。
なんの前触れもなく訪れる別れ。
望まない別れというのは、大体がなんの前触れもなく起こるもんです。
それでもお互いおもちゃとしての責務を果たすために、別れを受け入れる。
このシーンが悲しくも定められた運命に従わなければならないっていう
これまでのトイストーリーで作り上げてきた「おもちゃの価値観」を再確認させられましたね。
人間社会でもあるじゃないですか、どうしても逃れられない運命って。
それに抗うこともせず、ただただ受け入れるってなかなかできることではない。
ある意味、とても美しいと言えます。
だからこそ3までのストーリーはあまりに美しかった。
その時の気持ちを一気に戻してくれたようなシーンでした。
その美しさの正体ってのは「自己犠牲」の精神なのではないですかね。
そして美しく感じるってのは、当事者間で感じることではなく、それを端から見てる外野です。
僕がウッディだったら、おもちゃとしての運命なんて関係なく、ボーを連れ戻してあげたかった。
どんな醜くとも後ろ指を指されようとも、自分の内なる気持ちに正直になることが本当の幸せなのではないのかな。
そこに他者の感じ方なんてどーでもいーんですよ。
己の心の趣くままに。
4はまさにそこに踏み込むような作品で、他者の幸せよりも自己の幸せについて。
ウッディは子供部屋で子供に遊んでもらうことがおもちゃの幸せであり責務だと思い込んできた。
周りのおもちゃもそうです。むしろそれしか知らなかった。
しかし、再会したボーを通じて、ウッディは新しいおもちゃとしての生き方に触れることになる。
どの生き方が正しいとか悪いとかそんなのではなくて、ただ己の望む生き方を目指せよと。
そういった、生き方の多様性を肯定してくれるような側面も感じ取れました。
だからこそ、最後のウッディの選択は最高のフィナーレでしたね。
前シリーズとは全く異なる終わり方。
冒頭の別れとはまた違う、納得した上での別れ。
新たな道を歩み出すウッディの未来に幸あれ!!!