どちらか片方だけ必ず叶えられるとしたら、あなたならどちらを選ぶ?
1. 現金100万円をその場でもらえる
2.100万円を稼ぐための知恵がもらえる
既に100万円を稼ぐための知恵を持っているのなら、当然1を選びます。
ですが、大半の人はそうではありません。
そして100万円を稼ぐための知恵をもらえたとしても、本当に稼げるかどうかなんてわからない。
そう考えると、やはり2を選ぶ選択肢って少なくなるのかなと思います。
僕もその瞬間になって、2を選ぶ自信はありません。
この話は極論ではありますが、長い目で人生を考えた時に考え方として大事なのは、2だと思います。
今日はそんなことを感じた1日でした。
飛び込み来店から・・
基本的に土曜・日曜は忙しいです。
特に、弊社のような駅前にある不動産屋は予約なしでお客様が御来店することが多いです。
今日は飛び込みのお客様が何件かありました。
そのうち1件を僕が対応しました。
大変ありがたいことに、すぐにお申し込みを頂いたのです。
僕がやったことはお客様がネットで見つけた物件を調べただけ。
しかも、その物件はまだ居住中で内見ができません。
なぜか?
まさに怪我の功名
弊社の事務所は5階建の駅前ビルの4Fに位置しています。
上下の5Fと3Fも不動産店舗です。
今回いらっしゃったお客様は、本来5Fの店舗へ行く予定でした。
ですが、間違って弊社に来たのです。
お客様がネットで見つけた物件の掲載元が5Fの不動産屋でした。
物件写真を何度も見ており、ここ1点に絞って申し込むためにいらっしゃったのです。
今や物件を探すポータルサイトはSUUMOを始め、様々な媒体があります。
同一物件が様々なポータルサイトに掲載されているのは、珍しいことではありません。
ですが、複数媒体に掲載されているとはいえ、賃料などの条件は全て同一なのが「常識」です。
そう、「常識」であれば。
なんと信じられないことに、この物件は媒体によって賃料等の条件が異なっていたのです。
お客様はそこの疑問を解決すべく、来店なさったというのです。
確かにそれはおかしいということで、調査をしました。
通常、物件の募集をかけるのはその物件の管理会社です。
管理会社は大家とつながっていますから、条件等をしっかり打ち合わせて募集をかけているのです。
しかし、「先物物件」といって管理会社ではない会社が募集をかけるパターンもあります。
これは仲介営業のみを行っている不動産会社がよくやっています。
なぜなら自社管理物件を持っていないため、他社の物件を仲介するしかないからです。
なので、僕はまずこの物件の管理会社を特定しました。
そうすると驚くべきことに、お客様が見ていたポータルサイトの賃料条件より費用が少ない。
そう、条件が異なっているのです。
なぜこんなことが起こるのか?
答えは明白です。
この物件に対して、「管理会社ではない」不動産屋が「先物物件」として募集をかけていたからです。
信じられないことに条件を変更して。
元の賃料より1万近く高いし、礼金も+1ヶ月になっていて、ひどいもんでした。
危うくこのお客様は、このひどい条件の不動産屋へ行くところだったのです。
偶然とはいえ、弊社に来店いただいたおかげでぼったくられないで済んだのです。
信用を積み上げるのは困難だが、崩すのは容易い
元の条件を勝手に変更して、募集をかけることについて管理会社が許すと思いますか?
答えは当然ノー。
管理会社にこのことを話すと、大変憤っておりました。当然ですよね。
お客様から、余分にぼったくって懐に入れようとしているのですから。
ぼったくり不動産屋は、賃貸の仲介専門会社に多いです。
傾向としてはカタカナ表記の不動産がこういうひどい営業します。
ほら、あの緑の看板とか青い看板とか・・
営業マンの質もお世辞にも良いとは言えませんね・・・
会社そのものが目先の金儲けに走る営業スタイルなものですから、どうしようもないです。
しかし、こうした営業を続けていくことは確実に信用を落としますよね。
弊社には過去にひどい不動産屋を経験したお客様が、相談に来たりします。
決まって口にされるのは
「こんな親身になってくれる不動産屋ははじめてです」と。
当たり前のことを当たり前にやっているつもりなのですが、ひどい不動産屋が多いおかげで相対的に我が社の評価が上がります(笑)
常にお客様ファーストの営業を心がけることは当たり前ですが、容易いことではないのかもしれません。
会社によってはキツイ営業ノルマがあって、それを達成するために無理な営業をしないといけない場面があるかもしれません。
ですが、無理な営業をしてお客様の信用を落とすくらいなら、ノルマ未達でもお客様ファーストの営業を貫くことのほうが、後々の大きなギフトにつながるのではないでしょうか。
目先の100万円より、100万を稼ぐための行動を積み重ねる。
僕はいつまでも後者でいたいと強く感じた日でした。